前回の「神戸」の「戸(べ)」に続いて、今回は「神戸」の「神(こう)」の方で、何故、私たちの良く知る港町「神戸」(以下、私たちの神戸)だけが「こうべ」なのか?ということについて考えてみたいと思います。さて前回、神戸という地名が全国に26か所あるものの、その読み方がそれぞれ異なっているということは書きました。ここで、もう一度その内訳を紹介します。一番多いのは「ごうど」で18件(うち「こうど」1件)、次に多いのが「かんべ」で5件、後は「こうべ」「じんご」「かど」が各1件ずつということでした。私はこの事を資料で見たときに、26か所もある「神戸」の中で、「こうべ」と読むのが私たちの神戸ただ1つであることに猛烈に違和感を感じたわけです。
そもそも「神」を「こう」と読むことについては、これは日本語に所謂(いわゆる)音便と言われるものがありますから、それによる変化で考えてみると「神」は、かみ→かむ→かう→こう のように変化していったものと思われます。これはこれで特に問題はないし、私も納得しています。ただ、繰り返しになりますが、26ある「神戸」の中で「こうべ」と読むのがたった1つしかないということにどうにも引っかかったわけです。まあそういうわけで、いろいろ調べてみました。まず、最も数の多い「ごうど」ですが、初めに疑問に思ったのはなぜ「ごう」と濁るのか、ということでした。おそらく、「神戸」の前にもともとは東とか西とかいった言葉が付いていて、それで「ひがしごうど」とか「にしごうど」のように濁ったのではないかと思っていたのですが違いました。この「ごうど」は「河渡」または「川渡」だった可能性が極めて高いということのようなのです。これらは山間の、歩いて渡れるほどの幅が狭い川がある土地を指す言葉で、この字のままこの名前で呼ばれる地域は山国である日本では数多くみられるのです。漢字というものが広くいきわたった中世以降になって、村のちょっと物知りの人が、後からこの「ごう」に「神」、「ど」に「戸」という漢字を当てたのだと想像できます。なぜ「神」「戸」という漢字を当てたのかは不明ですが、実際にこの名前を持つ土地の多くが先の特徴を持った地域にあることから、私はこの推測が当たっているのではないかと思うのです。そうすると、結局「ごうど」は「神」を「こう」と読むようになったのではなく、「こう(ここでは“ごう”)」という音に「神」という漢字を当てたことになるので、今回の主題からは外れていることになりますね。ただこの時代には「神」を普通に「こう」と読むようになっていたことは分かります。
次は「かんべ」です。これは かみべ→かむべ→かんべ のように変わっていったものだと容易に推測できますし、この変化はとても自然で無理がないように思います。実際「神戸」という苗字を持つ人の8割が“かんべ”さんなのです。また、「かんべ」と読む地名は市町村内のより小規模な地名まで範囲を広げると、圧倒的に近畿地方に多く、「こうべ」と読む私たちの神戸だけが異彩を放っています。しかし、ここに一つの重要な証拠があるのです。
律令制が国中に行き渡っていくタイミングで「和妙抄」という全国の地名を掲載した“本”ができます。その中に私たちの神戸の前身になる「神戸郷」という地名が見られますが、そこには残念ながら読み仮名がふってありません。そしてこの“本”は地名の変化などにより時代時代で編纂しなおされていくのですが、江戸時代になって初めて神戸に“カムへ”という読み仮名が書かれたのです。これは口に出して発音するときは“かむべ”または“かんべ”になります(江戸時代には濁点表記はありませんから)。ということはつまり私たちの神戸も、少なくとも江戸時代までは“かんべ”と発音されていたことにならないでしょうか。というわけで、ここから妄想モードに入ります。
もしもタイムマシーンがあって、幕末の神戸村に降り立ち、龍馬と勝 海舟(*)の会話を聞いたとしたら、二人の口からはやたら“かんべ”という地名が出てくるはずです。つまり、神社由来の「神戸」が“かんべ”と呼ばれているのと同様に、私は私たちの神戸も“かんべ”と呼ばれていたのだと思うのです。それならかなり短い期間で“かんべ”が“こうべ”に変わったことになりますよね。では、何故私たちの神戸だけが例外的に“こうべ”になったのでしょうか?それはつまり、他の“かんべ”にはなくて、私たちの神戸にだけある何か特殊なものがあったということにならないでしょうか。そのように考えたとき、ありました!!! それは「異人さん」たちの存在です。幕末から明治にかけて日本と貿易をしていた神戸の異人さんの多くはイギリス人でした。彼らの母語である英語のアルファベットでは、 l, m, nは子音なのですが、有声音に分類されます。つまり発音の語尾に「u(ウ)」という母音の音があるのです。だから日本人が発音する“かむべ”もしくは“かんべ”が彼らの耳から取り込まれたときに“カウベ”になり、それを口に出したときに“コ―ベ”となるまでにはさほど時間はかからなかったように思います。何しろ英語では「au(アウ)」の音はほぼ例外なく「オー」になりますからね。そして、彼らが発音する“コーベ”を日本人の方がその性格上、相手に合わせるか、または訂正しようにも英語力がなかったかで、進んで「こうべ」というようになったのではないかと思うのです。いかがですか、この新説(珍説!?)。まあ、いつものように私の妄想に過ぎません。でも、ちょっぴり面白いと思ってもらえたら嬉しいです。異人さんによってつくられた私たちの神戸は、その名前も異人さんがはじまりだったというお話でした。お後がよろしいようで。
(*)栄えていた兵庫の津(港)ではなく、人里離れた神戸村に初めて目を付けたのは勝 海舟でした。彼はそこに海軍操練所をつくり、塾頭に坂本龍馬を据えました。神戸が港町として発展する元の元は勝の先見の明によるものと言っても過言ではないでしょう。
追伸
写真は1970年に制定された神戸市の紋章です。これは平仮名の「か」がモチーフになっています。「こうべ」の「こ」ではなく、「かうべ」の「か」です。どう思いますか??