余話として その1(地理1;神戸編)
5月末に「神戸旅行」をすることになった時点で、5月号の塾長ブログは「神戸紀行」にすることは決めていました。それで、旅行から帰ってからブログを書くにあたって、まず「神戸」についての知識をさらに深めるためにいろいろ調べていた時、実際の旅行記とは直接関係ないことだったのですが、気になる記事があったわけです。本当なら当然没になる内容だったのですが、コロナ明けでボーっとしていた時期が長く、また“ノーネタ”の状態でもあったので、結局そのことについて書くことになりました。
さて、それは「神戸」の名前についてのネットの記事でした。その記事の資料によると、日本国内の「地名」に限定した時、この「神戸」という名前の場所は26か所もあるということなのです。ちょっと、想像を超えた数の多さで驚きますよね。ただし、字面は私たちの良く知る港町「神戸」と同じなのですが、その読み方が違っているのです。
内訳(うちわけ)を言うと、「ごうど」と読むのが、町、村合わせて18件(内「こうど」1件を含む)、「かんべ」が5件、「こうべ」1件、「じんご」1件「かど」1件ということなのです。「ふ~ん」じゃなくて! 私は、この記事の資料を読んだとき、2つのことが引っかかったわけです。1つ目は神戸(こうべ)の戸(べ)と、もう1つはこの『「こうべ」1件』です。あまりに馴染みがあるために気にもしなかったのですが、“戸”という漢字を“べ”とよむのはかなりレアであるし“べ”とは何なのか気になったわけです。そして、私たちの良く知る港町「神戸」(以後、私たちの神戸とします)だけが何故「こうべ」なのかも引っかかりました。この疑問を解くため、私なりにいろいろな視点から考えてみよと思った次第です。というわけで、今回はまず「こうべ」の「べ」から。
そもそも神戸の名前の由来は、調べてみるとその真偽は別として、神話時代の人物である神功皇后が開いたという神社があって、それが今の生田神社であり、その時にこの神社の世話をする家44戸を選んだというところからきているのだそうです。つまり、生田神社を守り維持する44戸の人たちが住む地域を、後に神戸と呼ぶようになったということのようです。それで今では44戸(こ)と読むこの「戸」を当時は“べ”(または“へ”)と読んでいたのでしょう。この“べ”に当時の漢字に詳しい人が同じような意味を持つ「戸」を当てたのだと思います。「戸」はドアの意味であり、家には必ずドアがありますし、当時の住居は家1件に戸が1つだったでしょうから「戸」が1軒の「家」を表す単位の意味で使われるようになったのかと考えています。一応これで納得ですが、さすがに「戸」または「家」の数え方を何故“べ”と言っていたのかということは分かりませんでした。ひょっとしたら“塀(”へい“または”べい“)”がつづまったものかとも考えましたが、何とも言えません。ここからは余談ですが、日本語には明治時代まで濁点表記がなかったので、“へ”と書いてあるものがそのままの音で伝わっているのではないかと考えられる地名が残っています(ほんとに“へ”なのかは分かりません)。我が広島には「戸坂(へさか)」がありますし、有名なところでは「八戸(はちのへ)」がありますよね。戸坂については来歴が不明なのでひとまず置いて、八戸の方は平安時代初期に坂上田村麻呂が蝦夷(えぞ)征伐の後に、東北一帯が馬の産地であったので、おそらく馬の品種とか性質を地域で区別するために、一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)までを制定したものだと言われています。今でも八戸だけでなく、それらの地名は三戸(さんのへ)などいくつか残っているはずです。この時代になると「戸」は家1件という意味だけでなく、同じ目的や使命を持つ家々の集まった集団、それらが存在する地域という意味に発展しているように思えます。ただ、繰り返しになりますが、それでも私は「戸」の読み方は“へ”ではなく“べ”と読んでいたのだと思います。それは、文字で記録するときは、濁音表記がなかったので、“へ”となっているだけであって、まあ今に残る“こうべ”という音がまさにその証拠であると思うからです。
そしてここからは完全に“妄想モード”に入ります(“天下の大ウソつき”は人聞きが悪いのでやめました)。私はこの「戸(べ)」は後に「部」という文字に置き換わったのだと考えています。読み方は“ぶ”ではなくて、もちろん“べ”です。律令時代になると、“部民(べのたみ)”と呼ばれる人々が出てきます。彼らは、自分たちの特殊な技能でもって朝廷や豪族に仕える人たちです。例えば、語部(かたりべ)とか土師部(はじべ)などがあり、彼らは神話や伝承を記憶したり、土器や埴輪を作ったりする能力に長けた(たけた)人々だったのです。このように考えると、「戸(べ)」の持つ意味が発展して「部」になり、同じ目的をもって特定の仕事をする集団という意味を持っている言葉になったと言えるのです。ということで、さらにこの「部」が現代の野球“部”やサッカー“部”などに繋がっていったと考えると、言葉の持つ無限のエネルギーのようなものを感じ、あらためて圧倒される思いがします。まあ、あくまで私の妄想が前提なのですが……。
以上、「こうべ」の「べ」についての諸々の考察でした。
次回、“「神戸」はなぜ「こうべ」なのか”に続く。