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歴史(その1)

唐突ですが、「学際的」という言葉をご存知でしょうか?
「国際的」なら知ってるけど、と思われた方、まさにその国際的を基にして作られた造語なのです。でもこの言葉が使われだしてもう半世紀以上経つんですよ。意味は「国際的」が、国と国との関係だったり、その区別を超えた世界規模のといった意味を表すことになぞらえて、「学際的」の方も学問と学問の関係や、そのジャンルを超えた学問全体の規模で、といった意味で使われます。
さて、今回のテーマは、これまで何度か話題になったり、昭和のある時期にちょっとしたブームにもなった「邪馬台国」について取り上げたいと思います。

 邪馬台国についての問題点は、その場所の特定にいろいろな説があって未だにはっきりしないことに尽きます。それは、中国の史書「魏志」の中の“倭人伝”に書かれている邪馬台国までの道程の表記が様々に解釈できるところが原因なのです。古くは江戸時代の新井白石や本居宣長から明治、大正を経て昭和の時代までいろいろな説が提示されてきました。そして、ほぼ近畿説と九州説の二つに絞られたようです。ただ、結局文献や資料のみを基に導き出された説なのでこの辺りまでが限界のようです。まあ、実際の文献や資料を研究し、解釈するのが歴史学者の仕事ではありますから、それはいいのですが。

ここで、その学者、研究者の人たちや作家、素人の歴史マニアの人も含めて本当にいろいろな説が飛び交っていましたが、ただ一つ共通していたことがあります。それは、邪馬台国の場所を比定するのにほぼ全員現代の地図を使っていたことです。さて、何が問題なのでしょうか? 答えは、卑弥呼が生きていた時代の北九州の海岸線は今のものとは違っていたということです。具体的に言うと、現在の国道3号線から202号線に続くあたりの道、所謂(いわゆる)かつての”唐津街道”は、当時は海の中だったということで、このことは地理学者、地質学者の間では常識だったそうです。つまり、歴史学者やその他の研究者たちによる、この事実が出てくるまでのすべての仮説は、前提が間違っているわけですから、すべて否定されてしまうことになります。まったく、彼らの無念たるや、如何ばかりかと思いますが、これらの研究者の中にちょっとでも地質学などなの知識がある人がいたらまた違った様相を呈していたのではないかと思うと残念なことです。このことは、専門分野があまりに先鋭化されてしまったことにより大局を見失ってしまったという典型的な事例だと思います。

というわけで、冒頭で述べた、“学際的”な考えが非常に大事だということが言えると思います。特に、ある分野で行き詰まっている問題があるときなど、”学際的”なアプローチが大変有効であると考えられます。最近では、数学の“素数”の研究に物理学的な要素を導入することで何かしらの発見があったという例があります。これからは、ある分野と他の分野の橋渡しをするような独立した学問が必要になってくると思うのですが、いかがでしょうか。

さて、因みに(ちなみに)、古代の地図による邪馬台国の場所の比定で最も有力な場所は、ずばり、大分県の「宇佐」です。ここには宇佐神宮という大和朝廷ゆかりの神社があります。    

次回は、この大和朝廷と邪馬台国の関係に、学際的に迫っていこうと思います。

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