「クロノ-ス」って聞いたことありますか?
実はこれはある怪物の名前なのです。餌がちょっと変わっていて、こいつは何と時間を食べるのです。はい、もちろん想像上の怪物です。
私がこのクロ-ノスを知ったのは、私のかつての愛読書、イザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」の中に登場していたからです。ご存知の方も多いと思いますが、この本はイザヤ・ベンダサンというユダヤ人に、日本人の山本七平という人が、言わば成りすまして著したしたものです。この本の主題は日本人とユダヤ人の「安全」についての認識の違いだったように思いますが、クロ-ノスはその前段階の、日本と西欧の「時間」に対する観念の違いについて述べるところで出てきます。曰く、日本人はクローノスに追いまくられて、その鼻先をひたすら駆けるのに対して、西欧の人たちはクローノスの首に飛び乗って悠々としている。こんな内容が書かれていたと思います。どうです? 思い当たることはありませんか? 前方の青信号が点滅を始めると走る。動く歩道を歩く。これ位はまだいいとして、わずか1分か2分の遅れを取り戻すために、スピードを出し過ぎて脱線事故を起こすに至っては、さすがにそこまではとは思いますが、運転士を擁護するつもりはありませんけど、その心情は理解できないことはないです。まあ、ことほど左様に日本人は時間つまりクローノスに追いまくられて暮らしているようです。一方でロンドンでは、特急が30分遅れても誰も文句を言わないそうですから、その違いたるや、歴然たるものがありますね。
さて、今回の”お題“は英語なので、本題に入りますが、私はこのクロノ-スの章を読んで、まさに“目から鱗(うろこ)が落ちる”(「;何かがきっかけになって、急に物事の実態がよく見え、理解できるようにならたとえ」)経験をしたことがあります。次の英文を見て下さい。
- I have been to the post office.「私は郵便局に行ってきたところです。」
- I have been to America.「私はアメリカに行ったことがある。」
この二つの文は、have been to の後の場所が違っているだけなのに日本語訳が全く違ったものになっています。習う立場の時は、ああ、二通りの訳があるんだと思っていたし、教える立場になったときは、現在完了には完了、経験(他に継続、結果)の用法があるんだぞ、などと教えていて何の疑問も感じてはいませんでした。
しかし、前半に書いたクローノスのおかげで私は英語の時制について何か腑に落ちるものを感じたのです。敢えて言うと、英語で英語を理解したという感じです。っというわけで、説明したいと思いますが、結論は至って簡単です。つまり、この二つの文は同じことを言っているのです。どちらも、「到達点」を表すtoの先にある場所に過去に存在して(been)いて、そのことが今の私に関わりがある(have)と言っているのです。だから、英語自体は同じことを言っているに過ぎません。訳の違いはやはり時間感覚のちがいでしょう。たとえば5分前に郵便局にいたというのはいいですけど、5分前にアメリカにいたというのはおかしいでしょう。でもそれは、この文の読み手の問題であって、表現している側はその違いに全く頓着(とんちゃく;深く気にかけてこだわること)していないということです。つまり、彼らにとって、5分も10年もただ単に同じ時の流れと感じているからこそ(本人たちは全く意識していないわけですが)同じ表現になるということです。
このような、日本人との時間に対する観念の違いに気づくと、英語の“時制”、つまり現在形、過去形、完了形、進行形などがすべて理解できます。キーワードは「つながっていたら」現在形、途切れていたら」過去形です。次回はこれらのことについて書いてみたいと思います。