個別指導塾、学習塾の住田アカデミーは「君の勉強部屋」。海田(広島県安芸郡)に根ざして33年。各自マイペースで学習、指導は個別。

歴史1(その2)

 いきなりですが、クイズです。
 次の国名は何と読むでしょうか?
「好古都国」「対蘇国」。
 いかが?実はこの国々はあの魏志倭人伝の中に出てくる邪馬台国の周辺にあって、いわゆる親・邪馬台国と考えられている国の名前なのです。「コウコトコク」「タイソコク」とまあ、音読みをすればこう読めますかね。漢字の音読みというのは、中国語の発音に近い読みですが、3世紀の中国語は今の発音とはまた違っていました。でも、中国には中国古音という古い時代の中国語の発音を研究する学問のジャンルがあり、それによって上の国名の当時の発音が分かっています。というわけで答えです。「好古都」は『ハカタ』、「対蘇」は「トス」です。これはもう「博多」「鳥栖」ですよね。地名は“言葉の化石”と言われる所以(ゆえん:分け、理由の意)です。 
 さてここで考えなければならないのは、この「好古都」や「対蘇」という文字は当時の日本人が、“ハ・カ・タ“、”ト・ス“と発音したものに、中国人側が上の漢字を当てたものだということです。なにしろ、3世紀の日本人はまだ文字を持っていませんでしたからね。つまり、本来表意文字である漢字の、それぞれが持つ意味はとりあえず無視して、同じ(ような)発音を持つ漢字を表音文字として使用したということです。
 っというわけでやっと本題に入りますが、この「歴史1」の主題である「邪馬台国」の「邪馬台」は何と読めるのかということです。ただこれはですね、曖昧母音を含む発音らしくて、日本語表記では正確に表現できないのです。それでも敢えて表記すると“ヤ・マ・ドウ”となるみたいです。少なくとも“ヤ・マ・タ・イ”ではありません。そして、この読み方を一つの契機として、邪馬台=ヤマト説が浮上してくるわけです。ついでに、邪馬台国の女王「卑弥呼」は“ヒ・ミ・コ”ではなく“ピ・メ・コ(ピメハとも読むようです)“という発音になります。何だかちょっとカワイイ感じになりますが。いやいやそういう話ではなく、私たちは明らかに間違った読み方で歴史を学んでいることになりますよね。
 日本史学会による一方的な歴史的知識の押し付けではなく、(その1)で紹介したように「学際的」なアプローチから様々な説があり、それらについて生徒たちと議論しながら授業を進めていくのが(時間の問題はありますが)絶対面白いと私は思うのですが、いかがでしょうか。

 さて、“ヤ・マ・ドウ”という発音から、またさまざまな説が出てきます。聞きようによっては“ヤ・マ・ト”と聞こえないこともないことから、邪馬台=ヤマト説が、また、濁音をそのまま活かして「山田」や、「山門(これでヤマトと読ませるのだと思います)」という今に残っている北九州の地名からまたまた邪馬台国の場所を推定する説などです。まあでも結局、本編の主題である邪馬台=ヤマト説にはこれといった確たる証拠はないわけです。っというわけで、ここで私は前回に引き続き天下の大ウソつきになろうと思います。

 私はこの魏への使者は、自分の国の名前をはっきり「ヤマト」と認識していたと思います。でも、発音したときに“ヤマドウ”となったのです。これは、現在でも東北地方の方言の特徴として残っています。“お父さん”が“おどさ”になるなど、か行、さ行、た行の言葉には濁点を付けて発音するものが多いようです。だからといって、何で東北?と思われた方、いますよね。実はこの東北弁はズーズー弁と言われているものの一種で、東北地方で話されているから東北弁というのであって、ズーズー弁は東北地方に限定された方言ではないのです。じゃあ、東北以外のどの地域でこのズーズー弁が話されているかというと、それはなんと出雲地方なのです。ここで、九州というと南国のイメージがありますが、北九州は日本海側に面していますから、山陰地方とは何らかのつながりがあっただろうと思いますし、だからこそ邪馬台国も、仲の良し悪しは別にして、出雲とは対馬海流を媒介としてかなり濃密な交流(少なくとも人的交流)があったと思うのです。つまり、言葉も似通った言葉を話していたはずなのです。だから私は“ヤマト”と認識していても“ヤマドウ”と発音し、それに魏の役人か何かが、“邪馬台”という漢字を当てたのだと考えているのです。

 あなたはこの私の説、信じますか?まあ、信じないまでも、前回同様面白がっていただければ幸いです。ところで、“ヤマト”って何なんでしょうね。後になって、大きな和という意味の「大和」という漢字を当てたところを見ると(これは間違いなく日本人が当てました)、元々それに近い意味があったのではないかという考えもあります。ここで突然ですが、時代は古代ギリシャに跳びます。古代ギリシャ人は自分たちのことを“ヘレーネス人”と称しました。この“ヘレーネス”、意味は何と「大いなる和らぎ」という意味であり、その「大いなる和らぎ」をもたらす“癒す”という意味を持つギリシャ語は「Iamatos(イヤマトス)」というのです。あなたはこの事実、どう受け止めますか?

追伸

今回は、学際的アプローチ第2段として、中国古音による「邪馬台国」の本当(?)の読みから、邪馬台=ヤマトという説の真偽にちょっとだけ迫ってみました。まあ、本編にも書きましたが、これといった確証はないのです。しかし、もしこの等式が成立すると仮定すると、例よって傍証になりますが、邪馬台国がそのまま大和朝廷になっていったという根拠がいくつもあるのです。次回は、学際的アプローチ第3弾として、古天文学をもとに「邪馬台国」の秘密についてお話ししようと思っています。

 それから写真の図は、お気づきの方もおられるかもしれませんが、私が若いころに観た映画「砂の器」のオマージュです。被害者が東北弁を話していたという証言から、東北地方に気を取られていた刑事が、島根県に目を向ける切っ掛けになった図を再現してみました。興味を持たれた方、是非とも見てみてください。

関連記事

Academy News  8月号

歴史1(邪馬台国)その4 歴史1を書き始めたときは1回で終わる予定だったのに、ついに4回目になってしまいました。今回こそは完結したいと思っています。さて、そもそもこの歴史1のテーマは、ある学問的課題を追究するのに「学際的

Academy News 7月号

前回の「神戸」の「戸(べ)」に続いて、今回は「神戸」の「神(こう)」の方で、何故、私たちの良く知る港町「神戸」(以下、私たちの神戸)だけが「こうべ」なのか?ということについて考えてみたいと思います。さて前回、神戸という地