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Academy News 5月①

地 理 1 (神戸・前編)

 5月28,29の日曜、月曜で神戸に行ってきました。所属する塾コープの仲間の先生たちと、総勢7人の実に4年ぶりの楽しい懇親旅行でした。まあ、そういうわけで今回は紀行文的にその「神戸」について書くことにしました。神戸と言えば一大観光地としてあまりにも有名ですが、わずか一泊二日、しかも、二日目の月曜日の夕方からはもうみんな仕事がありますから、その日はただただ帰るだけの日程で、実質1日だけの観光旅行だったのです。

 新幹線のぞみ号で、午前10時51分定時に「新神戸駅」着。まずは、ロープウェイで布引ハーブ園を目指します。新神戸駅の西側徒歩5分のところにある『ハーブ園山麓駅』がこのロープウェイのターミナル駅になります。そもそも新神戸駅の裏手にはすぐに山裾(やますそ)が迫っていますから、このロープウェイに乗るといきなり傾斜の強い森林を下に見ることになります。結構なスピードで上方に引っ張られる感じがあり、高さも相当あって下を見ると少し怖いです。高所恐怖症の人にはお勧めできませんね。でもまあ、徐々に慣れてきて、真下じゃなく遠くを見る余裕が出てくると、神戸市街を一望できる大パノラマが開けます。これはやっぱり一見の価値ありというところでしょうか。それから途中に布引貯水池が見えます。かわいらしいダムといった風情の小ぶりな貯水池です。六甲山系の花こう岩層でろ過を繰り返してきた湧水を集めたものですから、飲み水としてはとびきりのもので、神戸開港の折には寄港する外国船の最大の楽しみはこの「コウベ・ウオーター」を水槽いっぱいに積むことだったそうです。その後神戸も大きくなって貯水池の水だけでは賄えなくなり、不本意ながら(?;神戸の人って大阪を嫌ってますよねえ、知らんけど)琵琶湖を源流とする淀川の水にお世話になっているようです。もちろん、今でも一部の市民にはこの貯水池の水が供給されているわけで、幸運な彼らに対して他の市民の人たちの中に若干の差別感情があるみたいですよ。さて、この布引(ぬのびき)ですが、これはおそらく「布引の滝」からきている地名だと思われます。この布引の滝は平安時代にはすでによく知られていて、この滝を歌った和歌が何首も残されています。ただ、実際には「滝」は一つではなくいくつかの滝があるのです。その中に、雄滝(おんたき)と呼ばれている滝があって、この滝は垂直に水を落下させてなくて、勾配をもった岩肌を滑るように水を流している幅広の滝なのですが、その様子が、まるで白い布をひいた(敷いた)ように見えたところからこの名がついたようです。

ロープウェイから六甲アイランドを望む。
ロープウェイから六甲アイランドを望む。
布引ハーブ園展望レストハウスです。

 さて、ロープウェイは途中の「風の丘中間駅」を経て終点の「ハーブ園山頂駅」に到着。約10分ほどの中空の旅でした。ここで昼食の予定だったのですが、日曜日ということもあり大変な人出だったので、レストランでの食事はあきらめて、屋外の山小屋風の出店のカレーライスで済ませました。その後は先の「風の丘中間駅」まで、高原の爽やかな風に吹かれて眼下に広がる神戸の全景を眺め、様々なハーブが栽培されている“香りの庭園”の間の緩やかな坂道に沿ってのんびりと下っていきました。他にも普通の家屋より大きい温室風のグラスハウスという建物があり、中にはショップやハーブティーなどが飲めるカフェなどがあって、なかなか楽しめましたよ。そして、「中間駅」からは再びロープウェイに乗って終点まで帰りました。ここまで新幹線を降りてから、ロープウェイ以外はずっと徒歩です。この旅は、普段運動不足の我々のために幹事のO先生が、その解消のために計画を立ててくれたに違いありません(笑…泣)。というわけで、次の目的地へももちろん徒歩で行きます。それはご存じ「北野異人館」です。目的地と言っても、今夜宿泊するホテルに向かう途中にたまたまこの異人館通りがあったといった方が正しいかもしれませんが。さて、そもそも現在の神戸の原形はこの“異人”さん達によって創られたといっても過言ではありません。事の起こりは、例のペリー来航を発端とする外圧によって結ばされた安政条約(歴史の授業で習った不平等条約)です。それを基に、1868年1月(この年の10月に“明治”と改元されます。)、神戸は開港します。そして当時はまだ寒村に過ぎなかった神戸村の生田川河口付近の低湿地を埋め立てて、外国人居留地を造ることにしました。ただその完成が遅れたことや、日本にやって来る外国人の増加によって居留地の範囲を広げざるを得なくなり、苦し紛れに日本人との雑居を認める“雑居地”を指定しました。その雑居地のなかで、居留地に近く、しかも眺めが素晴らしい高台がこの“北野”だったわけです。私たちが歩いてきた道から見て、この異人館通りはまだ高いところにあって、これからまた一番上の方に上っていく元気はもう残り少なかったので、誰言うともなく比較的低い場所の館巡りをすることになりました。2つ3つ見学した後「ラインの館」の庭のパラソル付きのテーブルで一休み。なるほどこんなところに住んで、午後は庭で涼しい風に吹かれながらのんびりお茶でも飲むといったような生活は幸せなものだろうなあ、などと考えながらひと時を過ごしました。少し元気が回復したので、そこからまた歩いて三宮(さんのみや)にあるホテルにひとまず、チェックイン。1時間ほど休憩して今度は神戸湾クルージングの予定です。

異人館、ベンの家
風見鶏の家
風見鶏の家
ラインの家
ラインの家

(後編へ続く)

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